私自身は、傍聴したわけではないので、生の情報はお伝えすることはできないですが、一つ気がついたことは、一般市民の視点から見れば刑事裁判がもっと身近になった様に思います。
そんな意味では、事件の関係当事者の方々は、負担が多い中でいろいろ努力をされてきたと思います。裁判員を交えない従来の裁判では、プレゼンテーデョンソフトを活用することもなかったでしょうし、極端に言ってしまえば、難しい表現を用いて傍聴人が理解していなくても、法定の中にいる人たちだけ理解していれば手続きは正当に遵守していると言っても過言ではなかったわけです。
裁判員が加わったことによる効果
今回の裁判では、裁判員として一般の方が、裁判手続に介入したことにより、傍聴している方々もどのように手続が進み、どこに論点があるのかを従来と比べてみると良く気がつくことがあったと思います。また証拠調べでは、3者が気がつかないことを取り上げることもできたのは、すばらしい点だと思います。司法関係者では気がつかないこともあることの現れだと思います。そういう意味では、裁判員制度は役割を果たしていると思います。
裁判員の精神的負担等による補償を
ただし、これから気をつけなければならない事は、様々な証拠を見ることによって、裁判員の精神的負担が増大すると思います。普段見ることはないものを見せられるわけですから、精神的な負担が懸念されるところです。精神的なケアも判決後において十分配慮してほしいと思います。そう意味では、裁判手続はまだ終わっていないと思います。
上記記事は、旧ブログ「時報」より、2022年6月8日に、本ブログに移植しました。なお、題名および本文において、加筆修正しました。
回想
それから今日に至るまで、センセーショナルなことが起きれば、報道される傾向もあることから、一般の方には、あまりこの裁判形式についての問題点は、相対的に希薄化しているのではないかと感じます。
それでも、反社会的勢力が被告人になった裁判で、傍聴席から、被告人に近い方からの脅迫があったなどの報道があり、裁判員裁判というよりも裁判手続そのものの身の安全についてはどう保証してくれるのだろうかと疑問を感じることもあるにはあります。国家の一役でもある司法という分野で、予算は経済産業や国土交通よりも軽薄なものだろうと思いますが、一般の国民一人一人の人生の貴重な時間を拝借しているのでしょうから、それ相応の補償があってしかるべきだろう感じます。
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